松本崇史(以下、松):でも、わからないほうがいいときもあるよね。
藤田進(以下、進):「わかる / わからない」ってさ、すでにそこに大人の教育的な意図があるもんね。そしてそういうの抜きにして、人と人っていう関わりもあるし。
松:まあ、教育的な意図も「目的」が何かによるんだけど、能力が目的になるとどえらいことだわ。そんで実質最低限の生活スキルもいるしね。
進:教育的な意図ってさ、能力を使って何をするか? が目的にあるべきよね。
松:そうね。あと確かに、人と人との関わりがうまい人はいるのよ。 そういう人は一対一に秀でてることも多い。
進:いるよねー。
松:ただ、集団もいるのよ。だから、いろんな人がいてわかりあえばいいんだろう。怖い人もいればいいし。
進:そうだね。僕はさ、教育的意図がもっと明確だといいなって思うよ。すると保育士がこどもを「見る」ってことが、もっと磨きやすい。それこそ民主主義教育とか、人権教育、環境教育とかね。
松:そう、そこ。民主主義の本質は分かち合いや響き合いだし。そうありたいね。集団の価値だよ。集団がないと個もないしね。
進:教育的意図が能力的になる……これってよく見るじゃない。実際日常的にさ。そうじゃないって言ってるのに、能力的数値みたいにして、そこ目指すということ含めてさ。「環境や生活を通して、何を育てるのか?」みたいなこと、考えちゃうわ。
松:その時に目指してるこども像って、何なんだろうな?こどもにも失礼な話だと思う。その人によって意味は変わるわけだし。
進:人間って、ずっと育ち続けるものだよね。大人になっても。
松:そうそう、だから目指すこども像は土台だよ。人としての。だから、こども用の土台ではなくてさ、人間としての土台みたいなことの方がいい。
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