松本崇史(以下、松):この前の本のシリーズ『自由の中で規律が育つ保育とは』(フレーベル館)に、「『自由』という言葉のひとりあるき」って項目があって、自由保育の意味を取り違えてるって話が出てくるんだけど、 平成9年からあるんだね、この話。なんで広がらんかね、もう少しでも。
藤田進(以下、進):ここで言ってるのは、保育者側の設定がない時間を自由保育って思ってる人がいるってことよね?「自由になんでもしていいよ」……みたいな時間。
松:「一斉保育じゃなくて、自由保育に変えました」みたいなこともある。
進:「設定と自由」とか「一斉と自由」とか、水と油みたいに相容れないもの、対極にあるものなわけじゃないのに、そう捉えられることって、いまだにある。そこさ、強制や束縛 VS 自由ならわかるんだけどね。「一斉と個別」とかもそうだなぁ。実際、混ざり合ってるのにさ。
松:自由って言葉がよくない。
進:自由という言葉のせいで、とっても不自由(笑)。
松:海外とか、保育の中で自由という言葉とかないと思うな。おそらく。
進:いつからあるの?日本の保育の中で、自由って言葉。
松:保育の中に自由という言葉が出たのは、創造美育(※)あたりの活動っぽいけどね。
進:ていうか、そもそも「一斉も自由」も両方「設定」なんだよね。保育の中で、自由っていう設定を置いている。
松:そうそう。自由という決まり事。だから言葉を変えたほうがいい。自由じゃない言葉にさ。自立と自律とかね。
進:その2つは近いかも。でも自律は、規律と混同されて勘違いが生まれそう。
松:あのさ、確かに規律でルールを守れると勘違いされがち。でも、規律とは自分で考えること。
進:つまり規律は、誰かに押しつけられるような決まり事ではない?
松:押し付けがあるときもある。ただ、それが納得したり、腑に落ちたりするものでないとね。人を傷つけてはいけないとかもあるし。
進:少し言い直すと、「規律は、誰かに強制されて守らなきゃならない決まり事ではない」ってことね。
松:たとえば、「笑顔ってすてき」「話聞くときにこっち向いたね」ってほめるけど、それも規律になるし、何でそれがいいかを伝えると考える土台にもなる。規律にはさ、そういう自由がいい場合もあるのよ。
進:なるほどなぁ。規律ってのは、自律とかなり近い意味になるね。「自由と規律」って対極にあるかと思ったけど違ったわ。ぼくも陥りやすい罠にはまってたわ(笑)。
松:やっぱさ、自由っていう言葉がよくないんよ。
※ 久保貞次郎氏が提唱した美術教育運動。こどもの自由な感覚による「自己表現」を促し、想像力を育み、創造的な人間を育てることを目的としてる。
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