藤田進(以下、進):遊びそのものが目的で、遊びを何かの目的にしてはいけない、みたいなこというじゃん。
松本崇史(以下、松):そう。こどもはね。こどもにさ、「この遊びでここを鍛えます」みたいなことしたらいけない。だから、倉橋惣三さんがこどもの遊びに教育的側面を持ち込むと言ったんだよね。
進:一方さ、遊びってこどもにとっては、何かを達成するための目的だと意識してなくても、どこかに向かうプロセスそのものよね。それに保育者は、発達的側面で遊ぶことを通して目的を達成しようとしてる。まあ、こどもにとっても無意識ではあるが、内的欲求を満たそうとしている。
松:そう、こどもの無意識の狙いを保育者は理解しないといけない。
進:遊びが「自発的で主体的なもの」とした時に、その主体性や自発性とは何か、を問いかけたい。気づきを育てる。気づきに寄り添う。気づきを促す。これは主体性よね。
松:その通り。促すのは主体性。そして主体性も自発性も育つもの。その手前に育てるものもある。
進:その感覚、大事よね。主体性や自発性の芽生え、というか土壌みたいなもの。確かにそれは育てるものだ。
松:だから同じ活動してもこどもによって意味が違う。そこに主体性があり、開放型の時は自発性が高い。でも開放型の時も、保育者の環境構成があるから主体性とも言える。よく勘違いしてて、こどもが主体となると、内的だけで育つと思っているが、外的要因から内的を促し、育てることがあるんだよ。
進:「遊びそのものが目的で、遊びを何かの目的にしてはいけない」というところと混同しやすい。そこらへん整理するといいんだろうなぁ。
松:あー、その混同はあるな……。あるある……。
進:主体性と自発性の育ちに順序ってあるかな?
松:うんとね、人によるが……、自発性も主体性も、どちらかというと意識化ではあるかと思うね。だから、無意識の乳児とは別物。でも自発性のほうが先だとは思うな。入り交じりながらね。
進:そうかもね。
松:主体性はさ、与えられたものですら魂が自由だよね。だからさ、おれはよく言うんだけど、0歳と5歳は与えられるのが好きよ。一周すんのよ。
進:なるほどね。一理あるわ。0歳は反射や模倣をベースに獲得していく段階では、主体や自発の前段階と捉えられて、5歳は主体が確立しつつあるから、頼られたり任されたりするとうれしい。
松:そういうこと。意味は違うが形は変わる。だから発表会とかだと、5歳はある程度決まった形がいい。
進:責任感あるものね。責任感って主体性そのものだし。
松:そこで育つのよ。
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