藤田進(以下、進):「ない」ってことがわかるって大事だね。一度獲得してしまうと「なかった時の感覚」を忘れてしまう。だから、例えば、0歳の感覚を見誤る。こどもの中に芽生えていないものに気がつく力。それは、芽生え始めたものに気がつく力でもあるわけだけど……。
松本崇史(以下、松):今さ、ダウン症の0歳の子いるのね。育ち、ゆっくりよ。そうするとなおさら見えやすい。
進:さっき見せてくれた0歳の写真(よもやま保育談議03)。あの0歳の「ふたり」って、そこに何があるんだろうね?
松:おー、そこね。超抽象的だと、心が生まれ出してる。共鳴とも言える。響き合い。笑い合うのよ。
進:共鳴っていうの、いい表現だわ。共感とはさ、ちょっと違うよね?
松:共感って、相手の身になるじゃん。
進:そうそう。僕はさ、乳児はまだ個々で完結してると思ってる。
松:うん。この時期はさ、こどもは個々だよ。大人が共感はするけどね。ライブ会場の隣の人みたいなことよ。ステージに向かって熱狂してるけど、隣同士は別個。
進:だけど大人や親はさ、目の前の赤ちゃんと共感し合ってるって思っちゃうよね。
松:最近の研究だと、赤ちゃんも共感性があるとか言うけど、ちょっと意味が違うなと思うね。
進:赤ちゃんは親に共感しているか?っていうのは、共感の意味をもう少し分解しないと理解できなさそうね。この本(『驚くべき乳幼児の心の世界』ミネルヴァ書房)、もう1回ちゃんと読み込んでみるかな。わからないことばっかりだわ。
進:「ふたり」の話に戻るけど、乳児がふたり。ここで何が起こってるのか?ってとこだよね。
松:そう。何となく集まりだすのよ。しかも特定の子と。気が合いだす。
Comments